100匹のネコたち展について

いよいよ8月1日からはじまる、100匹のネコたち展について少し商品をご紹介します。 小皿やマグカップに描 …

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100匹のネコたち展

8月1日より酔月窯店舗内にて『100匹のネコたち展~器の中に住む一期一会のネコたち~』を開催します。 ネ …

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おもてなし企画実施中!

店内商品(お買い得品除く)税込2,000円以上、会津コインにて決済いただいた方にねこの箸置きをプレゼント …

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3月、酔月祭開催します!

今年も3月1日から31日まで酔月祭を開催します。 価格改定をせざるをえない状況ですが、価格は据え置かせて …

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ようこそ酔月窯ホームページへ

 福島県会津美里町の旧会津本郷町地区は、数多くの窯元が集まる焼き物の町として有名です。

この地区の焼き物を「会津本郷焼」と言い、蒲生氏郷公の時代より400年以上の歴史を持ちます。

酔月窯は、その窯元のひとつです。

 地元で取れる大久保陶石を砕いて作る粘土は、酔月の特徴である丈夫さの源です。

そしてやはり地元八日町の土に鉄分・コバルトを加えて出来た呉須(絵の具)が、機能性を重視した器の数々に、会津の風物を描き出します。

 


この猫の湯呑みには、全部違う猫がいます。

 

酔月窯の歩み

会津藩士だった西田三九郎が、戊辰戦争後の明治3年に、会津本郷焼に身を投じました。
この三九郎が、のちに酔月窯の初代となります。
三九郎はその後、全国規模の博覧会で数多くの賞を受け、会津本郷焼と酔月窯の名声を高めました。

 

明治26年には二代目の善八がこれを受け継ぎ、白磁製造技術の改善と新製品の開発に努力し、独自のアメ釉を創製しました。

三代目善喜は、陶磁器の新分野の開拓に努力し、会津本郷焼のさらなる発展に貢献しました。

四代目善彦は、大正5年に発生した大火や、大正末期の不況ほか数多くの苦難を経て窯元を受け継ぎましたが、
伝統を活かしながら改善に取り組み、酔月窯独特の「藍呉須」と「鉄絵」のコントラストの製法を確立しました。

善彦没後、新城義雄を橋渡し役として平成2年からは、孫の理人が五代目を受け継ぎました。
理人は、会津型による柄や上絵の使用など現代的な感覚を取り入れながら、酔月窯を探究し続け、現在に至っています。